公益財団法人 数学オリンピック財団
メダル | 氏 名 | 学 校 名 | 学年 |
---|---|---|---|
金 | 副島 真 | 筑波大学附属駒場高等学校 | 高2 |
金 | 関 典史 | 灘高等学校 | 高3 |
銀 | 今村 志郎 | 灘高等学校 | 高2 |
銀 | 保坂 和宏 | 開成高等学校 | 高2 |
銀 | 浅野 知紘 | 灘高等学校 | 高3 |
銅 | 滝聞 太基 | 筑波大学附属駒場高等学校 | 高2 |
金メダリスト 副島 真
①スペイン(マドリッド)の印象
今回は3回目のIMOでしたが、スペインの印象は、緯度が高くサマータイム(UK+1時間)でしたので、夜になるのが遅いという印象でした。
②宿舎について
Contestantは、いくつかの学生寮に分かれて泊まりました。
日本チームが泊まったAhujaでは、入口が0階にあり、入口から入って少し進んだ右側に食堂がありました。
さらに進んだところにエレベーターがありました。日本チームは、303から313までの奇数番号の個室に泊まりました。
③コンテストについて
コンテストは、4時間30分で3問の試験が2回行われました。
問題用紙・解答用紙の他に、More water、More paper、WC、などの4種類の紙が配られ、それぞれ必要なときに紙を挙げます。
コンテストは1〜5問は完答できました。問題が簡単だったためボーダーは31点でしたが、金メダルが取れて良かったです。
④外国選手との交流について
Brazil、South Korea、などと交流しました。
宿舎は個室で交流しにくかったので、主な交流場所はバスの中や観光地でした。
⑤観光での印象
IMOの観光はいつもとても長く歩くので疲れます。
もう少し休みがあってもよいと思います。その他は良かったです。
⑥全体の感想
IMOを支えていただいた皆様、ありがとうございました。
金メダリスト 関 典史
今年もIMOでは、最高の時間を過ごすことができました。
宿舎は個室でシャワーもついていたので、なかなか良かったです。
スペイン到着翌日の開会式では、1人しか前に出られないということがあったものの、いよいよIMOが始まるんだという期待と興奮を感じさせてくれました。
開会式の翌日から、いよいよコンテストです。
コンテストは、3番がおしいところまでいって解けなかったのが残念でしたが、運もあって金メダルを取ることができました。
コーディネータの人達に感謝したいです。
外国の選手との交流は、今年も最高の経験になったと思います。
去年知り合った人達もみんな覚えていてくれたし、新しく知り合った人達も、みんな気軽に話してくれるいい人達ばかりでした。
中でも、去年親しくなったブラジルの友達と再会できたのは、本当に嬉しかったです。
また、ガイドのLauraさんは、どんな質問にも丁寧に答えてくれ、本当にお世話になりました。
これでもうIMOも終わりかと思うと寂しくなりましたが、今後もメール交換ができればいいなと思っています。
このIMOを振り返ってみると、自分にとっては最後のIMOで金メダルを取れたこと、そして、数学という一つの世界を共有する世界中の学生達と交流できたことに非常に満足しています。
今まで僕の数オリへの挑戦を応援してくれた両親や友人、去年の銀メダルを見届け亡くなった祖父、今回お世話になったガイドのLauraさん、団長団の方々、そして、IMOスペイン大会を成功させてくれた全てのスタッフの方々に、心から感謝したいと思います。
ありがとうございました。
銀メダリスト 今村 志郎
①スペイン(マドリッド)の印象
スペインはとても暑いという印象が強く残りました。
また、マドリッドは坂が多いと感じました。
そして、建築物やバスなどに、ヨーロッパを感じました。
②宿舎について
宿舎は個室で、机と椅子がついていたので、寝たいときに眠れ、勉強したいときには勉強できました。
とくに他と変わったことはありませんでした。
③コンテストについて
3番が解けたのは、自分としてはよくやったと思いますが、2番が解けなかったのは残念です。
1番は完答したと思っていましたが、自分の思い込みでした。
それが分かったのが2日目より後だったことは、不幸中の幸いでした。
今年は、自分とって初めてのIMOだったので、やはりその緊張がもたらしたマイナスの作用があったように思います。
④外国選手との交流について
英会話の重要性と自分の英会話能力の欠如を、身にしみて感じました。
また、交流には、積極的な気持ちも相当重要だと感じました。
交流では、自分もバングラデシュや南アフリカ、カナダの人達とメールアドレスを交換することができて良かったです。
⑤観光での印象
どの場所も見所がありましたがとにかく暑かったです。
配られたファンタやコーラをよく飲みました。
セゴビアやトレドの風景、プラド美術館の絵など楽しみました。
⑥全体の感想
初めてのIMO参加で緊張もしましたが、観光・交流など刺激的なこともあり、貴重な経験ができました。
来年のドイツ大会にも参加できるように努力します。
銀メダリスト 保坂 和宏
今回のIMOは、僕にとっては初めての参加、そして、初めての海外旅行でした。
スペインは話には聞いていましたが、非常に暑く、また、21時を過ぎても明るいなど、日本での感覚を狂わせられるところでした。
試験では、1日目は緊張のせいか焦ってしまい、ごく簡単な因数分解ができず、取れたはずの所で点を落としてしまったのがもったいなかったです。
2日目は好きな分野の問題であったこともあり落ち着いて受けられました。
最終的には、銀メダルを取れて上出来だったかなと思っています。
観光期間中、パーティーのようなものが何回かありましたが、日本は周りに比べ大人しかったです。
僕は、一度眼鏡を壊してしまい、ガイドのLauraさんにマドリッド市内の眼鏡屋に連れて行ってもらうということがありました。
無料で直してもらい驚いたのですが、このような公式日程に沿った観光以外のスペインの経験が、より強く印象に残りました。
外国選手との交流ですが、宿舎が個室だったために他国の部屋には入りづらく、最初の頃は殆ど何もできませんでした。
しかし、一緒にスポーツをして仲良くなったり、閉会式で得点や座席の近かった人と話をしたり、最後のパーティーで一緒に写真を撮ったりメールアドレスを交換したりすることができました。
自分の英語力の問題もあり、多くは受動的になってしまったのが心残りです。
約10日間、数学のこと、スペイン語のことなど、得るものが多くとても中身の濃い日々でした。
役員の皆さん、財団の方々、ガイドのLauraさんをはじめ、IMOスタッフの皆さん、楽しいIMOにして下さいまして本当に有難うございました。
銀メダリスト 浅野 知絋
自分にとっては最初で最後のIMOで、初めはかなりの不安や緊張もありましたが、この一週間は一瞬で過ぎてしまった感じがします。
夏のスペインは、日本よりも気温が高く、暑くて日差しも強烈でしたが、日本の様に湿度が高くはないので、日本の夏よりはずっと過ごしやすいと思いました。
また、情熱の国と言われるだけあって、現地ガイドの人達はすぐに集まっては踊ったりと、陽気な人達が多かったです。
18日に観光した El Escorialの城の内部には圧倒されました。
他国の代表との交流も楽しかったです。
交流における臆病さが無くなったと思ったらもう帰国を迎えることになってしまったのが、本当に残念です。
他国の人とサッカーやバスケットをしたり、日本からのお土産(折り紙等)の交換もしました。
試験では、あまり手応えはなかったのですが、結果的には目標にしていた銀メダルを取ることができ、本当に嬉しかったです。
でも、できれば2番の不等式も解きたかったです。
振り返ってみると、このIMOでは、本当に貴重な体験をすることができました。
コーディネーターや財団の方々、現地ガイドのラウラさん、学校の先生や友達、家族、など僕の力になってくれた皆さん、本当にありがとうございました。
銅メダリスト 滝聞 太基
①スペイン(マドリッド)の印象
スペインは、タイムゾーンが変わっていて、夏時間だったりで、22時頃でも明るかったです。
しかし、その分、生活が遅くずれて、夕食が遅かったり、観光の日に宿に帰るのが25:30だったりして、睡眠が十分には取れませんでした。(朝はあまり遅くはなかったので)
②宿舎について
宿舎は個室で、冷房はありませんでしたが、シャワーがあって、風呂に何度も入ることができました。
しかし、個室だと皆で遊んだり、他国の部屋に遊びに行ったりすることが何となくしにくかったです。
③コンテストについて
コンテストは、2日目にいろいろあり、5番が解けなくてとても残念です。
あと1点取りたかったです。
④外国選手との交流について
交流は、英語ができないと難しいです。
スポーツを一緒にすることでも交流を図りましたが、今回は日本選手の方が先に疲れてしまいました。
⑤観光での印象
観光では、いろいろなものを見ることができて、とても楽しかったです。
高い所から眺めた街並みはとてもきれいでした。
⑥今回のIMO全体の感想
今回のIMOは、特に、イベントに力が入っていたような気がしました。
僕にとっては、IMO期間中の運動量が多すぎて、ずっと体が痛かった気がします。
でも、楽しい時間を過ごすことができ、終わってみればあっと言う間の時間のような感じです。
今回、IMOに参加できてとても良かったと思っています。
団長 伊藤 雄二
第49回IMOスペイン大会は、参加国97カ国、コンテスタント535名を数え、これまでで最大規模の大会となった。
IMOがますます盛んになっていくのは、誠に素晴らしいことであるが、コンテスタントの他、各国からの団長、副団長、オブザーバーに合わせて、試験問題検討委員、採点コーディネーター、ガイドその他の主催国側のスタッフなどを含めると、1000人近い関係者が一堂に会するイベントを行うことは、主催国にとって年々大変な負担になっているに違いない。
今年のスペインのオーガナイザーたちの苦労も大変であったろうと思われるが、大会は、スムーズに運営され、開会式から、閉会式後の晩餐会にいたるまで、大いに盛り上がった大会であった。
主催者側が準備したショートリストに挙げられた候補問題の中からコンテスト問題を選び、決定された問題の各国語への翻訳を承認し、ついで、各問題の採点基準について合意することなど、これまでどおりに、各国の団長によって形成されるJury meetingで行われたが、100人近い団長が関与する中で多くの議題に合意を得てゆくのは、年々難しくなっていくように思える。
試験問題は、例年通り、代数、組み合わせ理論、幾何、初等整数論の各分野から、合計6題が選ばれたが、今年は、代数分野から2題、組み合わせ論、初等整数論からそれぞれ1題ずつ、幾何から2題という配分であった。
ショートリストに挙げられた30題ほどの問題の中から、Jury meeting の初期の段階で、3題の問題が、どこかの国の国内コンテストで用いられた問題に非常に近いとか、どこかの問題集に挙げられている問題と同じだというような指摘があって、リストから取り除かれてしまったことなどもあり、分野配分、難易度などを熟慮して、最終的にバランスの取れたコンテスト問題6題を選定する作業は、なかなか困難であった。
ショートリストの問題が3題も、削除されるということは、主催側の問題検討委員会にとっても、予想外のことであったであろうが、既にどこかで使われた問題をすべてチェックするというのは、時間も手間もかかり、大変なことなので、将来このようなことが起こらないようにするためにはどうしたらよいのか、検討されなければならない課題であろう。
ここ数年問題が難しすぎる傾向にあり、満点を取るようなコンテスタントが出ないような状態が続いたので、今年は、もう少し解きやすい問題を選ぼうという意向が、かなり多くの団長たちの間であり、その結果、去年よりは、いくらか問題が易しかったように思える。最終的に、満点の答案を書いたコンテスタントが3人出た。
2人が中国の選手で、1人がアメリカの選手であったが、このアメリカの選手も中国系の生徒であったのは印象深い。
比較的易しい問題だったといっても、535人中3人しか満点取得者がいなかったということはやはりかなり厳しい問題揃いであったといってよいであろう。
優れた生徒の中でも本当に傑出した生徒を区別するためにということで、一番難問と考えられた問題6〔幾何の問題であった〕の採点基準を厳しくして、部分点を殆ど認めないことにしたいという説明が、Jury meeting において、コオーディネーター側から提案され、かなりの反論もあったが、結局採択された。
しかし実際のコーディネーションの場では、その採点基準に納得せず、部分点を求める国がかなり出て、裁定がかなりもめ、最終的には、翌日のJury meetingに反論が提案されたりしたが、結局コーディネーターの意見が通って、一様に厳しい採点結果となって決着した。
日本チームにとって、問題6は、6人中ただ1人だけ1点で、後は全員0点という誠に厳しい結果となったが、他の強力国でも、殆どが似たような結果で、日本だけが不利であったわけではないので、諦めざるを得なかった。
結果的に日本選手は、金メタル2、銀メタル3、銅メタル1で全員入賞という結果であり、銅メタルの人も後1点で銀メタルという惜しい結果であった。
このところ数年全員入賞という結果が続いているが、今年も同様な結果が得られたことは喜ばしい。日本選手の健闘を大いに賞賛したい。
副団長 鈴木 晋一
マドリッドは2年前の夏に10日ほど滞在したので、今回は2回目の訪問になり、当時のことや街のようすなどがあれこれ思い出されて、懐かしくもあり、嬉しくもあり、楽しく過ごさせていただきました。
ただし、スペイン語はまったくダメでチンプンカンプンのままでした。今さら覚えようという気がまったく無いのも一因ですが、この方面の才覚が欠落していることが要因です。
さて、コンテスタントの宿舎は大学生の寄宿舎でしたが、食事も含めて、私が参加した中では最も良かったと思います。
ただし、UniversidadComplutense de Madrid を中心に、多くの大学が集中する大学地域の中の5つの寄宿舎に、約10チームずつに分かれたため、コンテスタント同士の交流に制約があったかも知れません。
逆に、限られた交流で密になったかも知れませんが。また、我々随員の宿舎との距離がかなり離れており、気軽に訪問し難い状況にあったのは難点でした。
チームガイドを務めてくれたのは、大学1年生でこの9月から2年生になるという、数学と情報科学を専攻し、日本語を学んでいるという女性で、片言の日本語と母国語でない英語で奮闘してくれました。
スロベニア大会の時のようなトラブルも無く、順調と見えました。
奨学金で3ヶ月ほど日本に来たこともあるとのこと、再来日の際には少しは協力できればと思いながら別れてきました。
ObserverA 栗林 司
今年の問題は全体的に言うと、例年に比べ多少簡単であったと思う。
2,5番が両方とも易しめであったことと、3番が一日目最難問としては簡単だったことが主な理由だろう。
4番の関数方程式は、世界的に見れば慣れない生徒も多く、例年より難しかったかもしれないが、日本ではよく出題される分野なので、日本の選手達はむしろ一番簡単な問題と感じたようだ。
日本の成績については、メダルの数は金2銀3銅1と、今年も複数人が金メダルを獲得し、良い結果であったと思う。国際順位は11位と最近の中では悪い方であったが、これは仕方のないことだと思う。
このあたりは接戦なので少しの点で順位が大きく変わる。
国際順位は良ければもちろん嬉しいものだが、悪くても特にどうということもない(元々非公式なものであるし)ので、来年以降の代表も、特に気負うことなく自分の力を発揮することだけを考えて頑張って欲しいと思う。
コーディネーションは思っていたより大分スムーズに行われた。
答案を1枚1枚その場で解説すると想像していたが、実際のところ開催国側のコーディネーターは日本語が読めないながらも、数式などの読める箇所はあらかじめ丁寧に読みこんでいて、明らかに出来ている答案はすぐに合意が得られたし、誤りのある答案や部分点がある答案に関しても、どこが争点かを把握していることが多かった。
今回は役員側として参加させてもらい、jury eetingやコーディネーションなど、生徒側ではできない新鮮な経験ができて楽しかった。
また、各国の生徒たちの様子を見て、自分の生徒時代を懐かしく思い出すと同時に、改めてIMOは素晴らしい大会であると感じた。
今年で参加国数が100カ国を超えたが、これからもどんどん規模を広げて盛んになっていって欲しいし、中高生の人たちには積極的に参加していって欲しいと思う。
ObserverA 三谷 明範
第50回国際数学オリンピック(IMO)はスペインで開催された。
僕はこの大会にObserver A(団長側)として参加した。IMOでは団長は選手たちよりも一週間ほど早く現地に入り、問題の選定、問題文の構成、採点基準の作成などを行う。
選手との接触を避けるため、今年はマドリードから車で1時間ほどのグランハという都市で行われた。
グランハは昔の王宮の避暑地であり、マドリードに比べて過ごしやすい。
Observer Aのここでの主な仕事は、問題文の和訳である。
英語の原題の雰囲気をなるべく損なわずに、日本語として整った、読み間違えのない問題文を作らなければならない。
今回は5番と6番に苦労した。英語ならばすんなりと言える部分が日本語ではなかなかうまく言えず、ある程度言葉を増やして説明することで対応した。
幸いにして今回は日本チームでは題意の取り違いによるミスはなかったようである。
試験が終わると団長はマドリードに移り、副団長と合流する。
この後の主な仕事は生徒の答案の採点、そして開催国側とのコーディネーション(点数を確定させる話し合い)である。
生徒の答案を細部まで読み、Marking Schemeに沿って点がもらえるところがあればきちんと主張しなくてはならない。
生徒の成績に直結するだけに気を抜けない。
僕が担当したのは3番と5番であり、5番で減点はしない程度の微妙な不備のある答案がいくつかあり若干不安だったのだが、特に指摘されることもなく終了した。
3番はある答案で栗林のおかげもあり始め読んだときに思ったよりも多くの部分点を取ることが出来た。
今回初めてObserverとしてIMOに参加したが、実際にどのようにIMOが運営されているか、また、各国の団長のIMOに対する想いを直接見ることが出来たのは良い経験になった。
最後になりましたが、自分をObserverとして選んでくださり、またさまざまな準備などをしてくださった財団の方々、ありがとうございました。
ObserverA 川越 美規
今回のIMOスペイン大会では、オブザーバーAとして参加させていただき、問題の翻訳やコーディネーションを手伝わさせていただきました。
初めての経験でとまどうことも多く、特にコーディネーションでは英語力のいたらなさを痛感しましたが、無事に採点とほとんどかわらない点数をつけてあげることができ、安心しています。
海外の役員の方と様々なことを活かすことができたのも大きな経験になりました。
問題を作る人材が不足している、優秀な学生は国外の大学に行ってしまう、など、それぞれの国にそれぞれの事情や問題を抱えながらもこのような大会を続けてきたという歴史の重みを感じ、IMOを運営してきた方々の想いの一端を知ることができました。
私自身は、高校生のときIMOに参加したことはなかったので、今回が初めてのIMOとなったのですが、コンテストに全力を尽くし、海外選手と交流する選手達の姿とそれを支える運営側の姿を同時に見ることができ、良い経験と楽しい思い出の両方を得ることができて、思い出深い大会となりました。
今後もこのような大会が続いていくよう、少しでもお手伝いができれば幸いです。
ObserverB 田﨑 慶子
今回で3回目のIMO。今回、副団長団は他都市の移動がなく全日程マドリードだったので、ゆったりと過ごすことができました。
マドリードの印象は東京のように地下鉄が整備され、マドリードの市街地図とメトロの路線図さえあれば自由に散策できる街です。
実際 副団長団にはメトロの回数券が支給され、生徒の宿舎間や野外での昼食会の後は、メトロを乗り継いで各自ホテルに戻るという方式でした。
またカトリックを中心としたキリスト教信仰の厚い国柄、教会の数の多さは驚かされました。
IMO3回目ということもあり各国の役員団の中に顔見知りも増え、再会を喜び会う会話も弾みました。
結果的にはアジア圏内の方々との交流が多かったのですが、再来年IMO開催国のカザフスタンの女性団長とも昨年からの顔見知りで、お互い慣れない英語(カザフスタン団長は仏語しか話せない。)で会話しながら交流できたことも感慨深い思い出になりました。
今回、日本の選手たちはおおむね良識ある自覚で行動し立派でした。
また、コンテスト終了後のそれぞれの表情は安堵と開放感に満ち溢れており、コンテスト前までかなりの緊張があったことがうかがえました。
また、選手たちのガイドを務めてくださった大学生Lauraさんは、日本チームのためによく尽くしてくださり、感謝の念が絶えません。
コンテストが終わり、コーディネーションが進むにつれ日本の事務局との連絡・報告事項が増え、報告の中には結果が判明する時刻ぎりぎり、タイムリミットのあるものもありましたが、オブザーバーAのメンバーの協力のもと無事に報告できた時は本当に安堵しました。
今回は選手のご家族も3組現地入りされ、その中の2組のご家族が閉会式に参加され、ともに選手をお祝いすることができました。
それとともに日本で選手を送りだしてくださったご家族にも感謝申し上げます。
日本チームの要としてしっかりまとめてくださった団長の伊藤先生、生徒を大事に見守ってくださった副団長の鈴木先生、採点・コーディネーションに全力をかけてくださった3人のオブザーバーAの役員団の力と選手の健闘とが相乗効果を発揮し、結果、全員がメダルを獲得できたと思います。
最後に、IMOに送り出してくれ留守中の仕事をカバーしてくださった事務局の皆様に感謝申し上げます。
順位 | 国 |
1 | 中国 |
2 | ロシア |
3 | アメリカ |
4 | 韓国 |
5 | イラン |
6 | タイ |
7 | 北朝鮮 |
8 | トルコ |
9 | 台湾 |
10 | ハンガリー |
11 | 日本 |
12 | ベトナム |
13 | ポーランド |
14 | ブルガリア |
15 | ウクライナ |
16 | ブラジル |
開催国の Web Site は、下記の通りです。
http://www.imo-2008.es/index.html
成田空港待合室で直前学習会 (副団長と選手全員) |
開会式で披露できなかった 新撰組のハッピを着て |
開会式後に選手とガイドさん |
全員メダリスト (左から今村君、浅野君、 副島君、関君、滝聞君、保坂君) |
IMOの人文字を作る。 | 文部科学省表敬訪問 (大臣、副大臣とともに) |