公益財団法人 数学オリンピック財団
メダル | 氏 名 | 学 校 名 | 学年 |
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金 | 岸川 滉央 | 久留米大学附設高等学校 | 高3 |
金 | 井上 秀太郎 | 灘高等学校 | 高3 |
銀 | 北村 拓真 | 灘高等学校 | 高1 |
銀 | 越山 弘規 | 甲陽学院高等学校 | 高2 |
銀 | 清水 元喜 | 灘高等学校 | 高2 |
優秀賞 | 久良 尚任 | 聖光学院高等学校 | 高3 |
☆選手達の声 | |
(以下はアンケートからの抜粋である。) | |
カザフスタン(アスタナ)の印象 | |
・ | アスタナは首都になって10数年というのに、とても都会で驚きました。 逆に、その周辺はステップがずっと広がっていました。 また、カザフ人の3分の1くらいが日本人と見間違えるほど似ていました。(北村拓真) |
・ | アスタナは新しく発展している都市との印象を受けました。 奇抜なデザインの建物が計画的に配置されていた。 一方、コンテスト会場はかなり趣が異なり、別の国のようでした。(清水元喜) |
・ | アスタナは何もない平たい土地に、突然圧倒的なオブジェを配置したといったような風情で面白かったです。(越山弘規) |
宿泊地 | |
・ | アスタナ市内のホテルとBaldauren(日本の代々木オリンピックセンターみたいなところ)という施設に泊まりました。 宿舎での食事が僕の口に合ったので、割と快適に過ごせました。 (ただ、体には合わなかったらしく、日本に帰ってからも下痢に悩まされました。) |
・ | 宿舎はそこそこ清潔で食事も喉を通ったけれど、コンテスト会場とアスタナが約250km離れて、長距離バス移動を余儀なくされたのが辛かったです。(清水元喜) |
・ | ノブやシャワーの仕様がユニークでした(越山弘規) |
コンテストについて | |
・ | 5が良くない問題で、時間をとられてしまった。6は簡単だったが解く時間がほとんどなかった。(岸川滉央) |
外国選手との交流について | |
・ | 宿舎で同じ階のポルトガル人に何回も話しかけられたり、プレゼントのお返しに扇子をあげたりと何となく交流できた気がする。(清水元喜) |
・ | ポルトガルの選手が積極的に日本人と交流してくれた。(岸川滉央) |
・ | ワールドカップ観戦中にモロッコやクウェートの人と仲良くなったり、トイレ待ちでインドネシアの人と仲良くなったり、日本人に積極的にアプローチしてくれるポルトガル人がいたりして面白かった。(井上秀太郎) |
観光での印象 | |
・ | バスに乗る時間が長かった。また、コンサートが5回もあって、カザフ人の音楽好きを実感した。 また、昨秋に発掘されたという遺跡にはびっくりした。 (清水元喜) |
・ | バスの移動が主流だったのですが、窓から広がるステップ草原が印象的でした。 また、ガイドさん(日本語がとても上手で、僕はとてもお世話になりました。)と一緒に遊牧民の家の中を見学し、「馬のミルクでできた白い液体」を頂きました。想像を絶する味でした。(北村拓真) |
IMO全体での感想 | |
・ | 初めてのIMOで、戸惑うことも多かったですが、とてもよい体験になりました。 来年のオランダ大会も是非参加したい。(清水元喜) |
・ | 予定が定刻より遅れることが多く、また、コンテストや待遇に不満な人もいたようだが、そのような状況下でも結果を出すべきだったと痛感している。(久良尚任) |
・ | はじめてのIMOということで緊張や不安もあったのですが、団長はじめobserberのみなさんやガイドさんなどの支えがあり、ハードな日程でしたが、なんとかこなすことができました。本当にありがとうございました。 |
☆団長達の声 | |
団長 森田 康夫 私は日本代表団の団長として第51回IMOカザフスタン大会に行ったが、以下はそのときの感想である。 昨年度は日本は国別で2位となる結果を得たため、今回は周りから期待とプレッシャーが掛かった。しかし私は、今回のチームは1年生1人と2年生2人を含んでいたため、昨年度並みの成績を得るのは困難だと考えていた。結果は、国別順位は7位となり、3年生3人のうち2人が Gold Medal を、1年生と2年生の3人が Silver Medal を得る結果となり、今後に期待をつなぐ結果となった。健闘した6人の選手と、選手が少しでも良い順位を得られるよう丁寧に答案を読み、選手の得点を決めるcoordination で真剣に努力してくれた OB 3人に、心から感謝を表したい。 今回は問題を決める Jury Meeting が開かれた日の朝に現地に着いたため、大会本部から各国チームに配布された問題を十分に検討する時間が不足し、ぶっつけ本番で問題を決める会議に挑んだ。組み合わせの問題を2題採択すべきだという提案もあったが、結果的に、関数等式に関する非常にやさしい問題1、中程度の難易度の平面幾何に関する問題2、整数に関する美しく難しい問題3、比較的やさしい平面幾何の問題4、組み合わせに関する中程度と評価された問題5、難度の高い代数に関する問題6が採択され、日本チームとして不都合のない問題選択となった。 以上の問題を決める会議は、カザフスタンの旧首都であるアルマトイで行われたが、開会式などは新首都であるアスタナで開かれたため、開会式の早朝に飛行機で移動した。また、試験はアスタナの北約250kmの所にある観光地で行われたため、選手は開会式が終わってから6時間位バスに乗ることになった。カザフスタンの人は、我々とは移動に関する意識がかなり違っているのかと思った。 さて、日本チームは問題2の平面幾何の問題を完答できない人が2人出た。これに対して、上位国のほとんどではこの問題を全員が完答し、幾何問題に対する訓練が日本の課題となった。また日本では組み合わせ論が教えられていないが、その辺の対策も大切であるように思う。 世界全体を見渡すと、タイやカザフスタンが日本より上位に行くなど、発展途上国の力が確実に向上している。日本もうかうかしていると、どんどん下位になってしまいかねない。数学は科学技術の基盤であるので、日本は数学オリンピックでも良い成績を収められるよう、これからも努力を続ける必要がある。 なお今回の大会では、Advisory Board の Chairman が、ハンガリー代表の J.Pelikan 氏からロシア代表の N. Agakhanov 氏に交代することが決まった。これに伴い、IMO の運営が少し変わることが予想される。 |
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副団長 鈴木 晋一 第51回国際数学オリンピック大会は、カザフスタンの首都アスタナで、7月6日のお昼に独立宮殿で開会式を行った後、試験が7月7日と8日に行われました。 試験会場と選手たちの宿舎は、アスタナの西250kmにある Baldaurn Republican Education and Helth Center で、東京代々木にあるオリンピック記念青少年センターと同様な国の施設で、まずまずの状態でした。 ところが、開会式後、パトカーの先導で19台のバスに分乗してこの施設に移動したのですが、19:00着の予定がなんと22:00〜23:00となり,それから夕食、すぐに就寝、翌朝6:00に起床、朝食後8::00には会場に入り、9:00から試験が始まるという、何とも選手たちを無視したスケジュールで、悪評プンプンでした。アスタナへの足が悪く、日本を含めアスタナ到着にかなり苦労した国が多かっただけに、この扱いは乱暴でした。 コンテストの出来・不出来はともかく、十分に体調を整えてコンテストに挑ませたい・・・というのが周囲の願いであり、残念でした。何しろ大会運営全体がまずく、国家が下手に介在するとこんなにもおかしくなるという典型と感じました。 アスタナのホテルで行われている採点業務はまずまず順調で、間もなく終了します。 問題は前回よりかなり難しかったようで、どの国も思うような点が出なかったようです。6人中5人が新人だった日本もやや苦戦でしたが、全員体調を崩すこともなく善戦、無事試験を終えることができましたので、一息ついています。 (アスタナ 発) |
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☆大会の感想 | |
オブザーバー 伊藤 雄二 ソヴィエト連邦の崩壊の後、カザフスタンが独立国家を宣言したのは、1991年12月のことだから、まだ20年にもならない新興国家である。 歴史の古い町アルマトイから、首都が新たに建設された都市アスタナに移ってまだ15年足らず、立派な高層ビルがあちこちに聳え立っているが、首都完成は、2030年を目標にしているとのことで、現在建築進行中の建物も多く、何か落ち着いた気分とは程遠い感じであった。 しかし、世界で6番目に広い国(西ヨーロッパ全体とほとんど同じ面積とか)だが人口はわずか1650万ということだから、狭い所に人口がひしめいている日本から来てみると、途方もなく大きい国だというのがまず強烈な印象として残った。 首都アスタナにしても、広大な地域にわたる都市計画が進行しているのだが、現在の人口は約50万人とか。 流石に道路を走る車の数は少なくはないのだが、中心街からそれほど離れているわけでもないホテルの周りを歩いている市民たちの姿は殆ど見当たらなかった。 資源が豊かな国であることもあって、国の将来の発展は、科学と技術の力に頼らなければならないという国策が徹底しているらしく、それも数学教育を充実させることがそのような科学技術の発展に結び付くということに注目しているようで、IMOの開催に関して、国家として極めて積極的に対応したのであろうということが、開会式、閉会式その他のプログラムの設定の仕方からありありと感ぜられた。 IMO自体の話にすると、Advisory BoardのChairmanの改選があったが、第一次選挙で、かなり優位なトップにたっていたHungaryのPelikan氏が決選投票でロシアのNazar Agakhanov氏に敗れたことが、かなり印象的な出来事であった。 ロシア圏で開催中のことであったことに関係があったのかもしれないが、数学オリンピックにも、世代交代の風が吹いているのかもしれないという感じもなくはない。 ここでは触れないが、IMOの運営に関して、色々と問題になりそうな事柄が今大会中に起こり、これからのIMOの運営に関して根本的な変化が数年内に起こる可能性があるような気がする。 日本数学オリンピック財団にしても、その辺の対応を今から検討しておいた方が良いのではなかろうか。 |
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オブザーバー 田﨑 慶子 カザフスタンの新首都アスタナを中心に開催された第51回IMO。よい意味でも悪い意味でも色々な出来事に驚かされる大会でした。 アスタナは未完成の都市といった感じで2030年完成に向けて建設ラッシュそのものでした。また『KY3ET』(クゼット)と呼ばれる警察官が街のいたる所に配置されており、芝生でも入ろうものなら、即飛んできて注意されるといった管理体制の厳しいところでした。またコンテストが行われたBaldaurenや周辺の国立公園はすべてゲートで遮断されており、国境のような錯覚を起こしそうな所でした。 コンテストに関しては金2・銀3・優秀賞1、国別順位が7位という結果でしたが、コンテスト前日にコンテスト会場及び宿舎へ約250㎞の長距離をバスで7時間かけての移動。到着は夜10時をまわり、深夜の夕食。疲れも取れぬままにコンテスト当日は朝6時起床。この過酷な条件で2日間のコンテストを受けきった6人全員が『金メダル』に値するといっても過言ではないと思っています。 帰国に関しては大きなアクシデントに見舞われましたが、全員が無事に帰国した今は、ありきたりではありますが、この経験を各々未来に生かしていただくと同時に数年後、笑って思い出として語れればと願っております。またIMOにコンテスタントを温かくお送りいただいた保護者・ご家族に深く感謝申し上げます。 |
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オブザーバー 中村 勇哉 今回のIMOは、observerAとして参加させていただきました。observerAの仕事は主に問題選考と採点(コーディネーション)ですが、食事の時間や、自由時間などで各国のleaderやobserverと話をする機会もありました。 各国のobserverに比べ、我々はかなり若いこともあり、しばしば生徒と間違われることがありました。 実際、入国の際に生徒と間違えられ、IMO運営側からアルマトイ入りを拒否されるという事態がありました。 また、他国のleaderから「なぜ日本はobserverに大学生を採用しているのか」と聞かれたこともありました。 これに対し伊藤先生は「採点において生徒の答案をより理解できるのは、彼らIMO経験者です」と返答してくれました。 この言葉に我々チューターはコーディネーションへ向け、随分励まされたのを覚えています。 また、相手も非常に納得しているようでした。 若さでいえば、グアテマラのleaderも若く、僕と同じ21歳でした。 グアテマラからは当初4人のcontestantが参加予定でしたが、航空料金の関係で2人しか参加していないという内容の話をしたことが強く印象に残っています。 彼とは、年齢が同じであることに加え、彼自身が日本語を1年間習っていたこともあって、非常に仲良くなりました。 コンテストの問題についてですが、今年は例年より取り付きにくい問題が多かったように感じます。 採点基準が厳密に定められていることも加わって、コーディネーションでは、部分点をもらうのが難しい問題が多くありました。 そのような中で、国別順位7位という素晴らしい成績を収めた6人の日本選手には、心から祝福したいと思います。 最後に、IMOに同行して下さった伊藤先生、森田先生、鈴木先生、藤田先生、田﨑さん、さらに日本から支えて下さった財団の皆様、ありがとうございました。 |
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オブザーバー 片岡 俊基 問題に関する会議はアルマトイで行われた。 到着が遅く、ショートリストの問題に急いで目を通さなければならなかったため観光には行けなかったが、宿舎は静かで過ごしやすい環境だった。 面白い問題や日本選手の得意そうな問題を通そうと努力し、いくつかは希望が通ったのだが、国により問題の好みが異なるようで、完全に満足する結果にはならなかった。 開会式が終わった後はアスタナで過ごした。 アスタナは現代的な建造物が並ぶ都市で、巨大な箱庭という印象である。 コーディネーションは問題3,5を担当した。 問題3は難しい問題だったのだが、日本選手は2名も完答することができた。 さて、この問題は採点(コーディネーションの準備)も難しかった。 時間に余裕のない状態で書かれることとなる答案は書き間違いも多く、模範解答のような華麗さはない「努力して解ききった」答案だったため、最初は解けているのか半信半疑だったのだが、最終的には答案の流れをすべて書き出し、コーディネーションでは無事に予定通りの点数を取ることができた。 問題5は本大会で唯一の組合せ分野の問題だが、なかなか異例の問題であった。 操作の手順が存在するかを問う問題は(小問に分かれている場合を別として)通常不変量や単調量を発見することにより存在しないことを証明することとなるのだが、この問題は実は「存在する」ことが答であり、手順を見つけ出すことを要求するほとんどただのパズルのような問題だった。 日本選手のうち存在することを証明しようとしたのは1人のみであり、IMOの問題という先入観にやられてしまったようだった。 今回の日本選手の結果は素晴らしいと思う。 一方で、問題を解く力だけでなく答案を書く技術などの本番で力を出し切る技術もあるとより良い成績が期待できるのではないかと感じたため、これを今後の教育に活かせればと思う。 関係者の方々お疲れ様でした。 |
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順位 | 国 |
1 | 中国 |
2 | ロシア |
3 | アメリカ |
4 | 韓国 |
5 | カザフスタン、タイ |
7 | 日本 |
8 | トルコ |
9 | ドイツ |
10 | セルビア |
11 | ベトナム、イタリア |
13 | カナダ、 ハンガリー |
15 | オーストラリア |
16 | ルーマニア、イラン |
18 | ペルー |
19 | 台湾 |
20 | 香港 |
開催国の Web Site は、下記の通りです。
http://www.imo2010org.kz/
恒例の人文字 | 日本選手 | 日本選手団 |
国際交流 | 送別会にて | 文部科学省表敬訪問 |