公益財団法人 数学オリンピック財団
メダル | 氏 名 | 学 校 名 | 学年 |
---|---|---|---|
金 | 山本 悠時 | 東海高等学校 | 3年 |
金 | 隈部 壮 | 筑波大学附属駒場高等学校 | 3年 |
金 | 早川 知志 | 洛星高等学校 | 3年 |
金 | 上苙 隆宏 | 早稲田高等学校 | 3年 |
銀 | 大場 亮俊 | 筑波大学附属駒場高等学校 | 3年 |
銅 | 井上 卓哉 | 開成高等学校 | 1年 |
団長 | 藤田 岳彦 | 中央大学理工学部教授 |
副団長 | 淺井 康明 | (公財)数学オリンピック財団 |
オブザーバーA | 峰岸 龍 | 東京大学理学部数学科 |
清水 元喜 | 東京大学医学部医学科 | |
吉田 健祐 | 東京大学医学部医学科 | |
オブザーバーB | 田崎 慶子 | (公財)数学オリンピック財団 |
☆IMO選手達の声 | |
各選手に、IMO南アフリカ大会の感想を書いてもらいました。 (1)南アフリカ(ケープタウン)の印象 (2)宿舎について (3)コンテストについて (4)外国選手との交流について (5)観光での印象 (6)今回のIMO全体の感想 |
|
山本 悠時 選手 | |
(1) | 思っていたよりも寒かったが、昼間は少し暑いこともあった。空気が乾燥していて唇が荒れた。景色が昼も夜もきれいで、ずっと見ていられそうだった。 |
(2) | 選手団の部屋は4階にあったが、4階のシャワー室は電気がつかなかったので3階のシャワー室を使った。初日のシャワーは水の蛇口が回らず熱かった。コンテスト前日は、お湯の蛇口だけひねってもシャワーの水温が非常にぬるく、凍えそうになり、別の日はぎりぎり浴びられる温度のシャワーだったが水流が弱くてまた寒い思いをした。シャワー以外についても言及すると「宿舎について」で過半数を占めそうなのでやめておく。まあそれはそれで懐かしいんですけどね。 |
(3) | 1日に3問出題される。最初の30分間は全く頭が回らなかったので、頭を使わずにすむ作業をしていたら解き終わっていた。過去問でも3問完答したことは2回くらいしかないのに、初日に問3まですべて解けて不気味だった。2日目は問5が全然解けなかったが、問6を解ききって金を確信してからは気が楽になり、問5も解けた。ミスがいくつもあって満点とはならなかったが、個人別順位5位にはとても満足している。 |
(4) | たたきごま6個などを持って行ったが、たたきごまの遊び方の説明は1度しかできなかった。箸なども「これは箸です。」と言って渡すだけであったが、持参したお土産が減るにつれて、交わす口数も増えていった…気がする。 |
(5) | 日本チームのガイドの女性は日本語を話せなかったが、英語を使う機会が増えたので逆によかった。最終日には、とりあえずうなずいておく、というようなことがほとんどなくなった。観光では、足だけしか浸っていないが大西洋に入ったのが印象的。あと、途中で立ち寄ったシンガポールでは、どれだけ自分ががっかりするか期待に胸を膨らませながらマーライオンを見に行ったが、そんなことはなく、想像以上の大きさに圧倒された。 |
(6) | 自分が42点でないことを知ったときには落ち込んだが、団長団が、減点されないように何時間にもわたって交渉してくれたことが、嬉しかった。人生最高の10日間をささえてくれた皆さん、共に過ごした早川さん、井上さん、隈部さん、大場さん、上苙さんに本当に感謝したい。 |
隈部 壮 選手 | |
(1) | 雨季らしく、雨が降ると言われていた。2日目には、「めったにない晴れの日だ」と言われテーブルマウンテンにのぼった。しかし雨が降ったのは初日と最終日のみで、雨季とはなんだったのかという感じだった。結構どこからでもテーブルマウンテンが一望できたため、景色は素晴らしかった。大学は安全と言われていて(しかしどう見ても裏門のようなところから入り放題であった)、実際特に危険なことはおこらなかった。冬だが日本の冬よりは暖かく、また昼間は暖かいので過ごしやすい気候だった。景色もきれいなので、治安さえよければ住みたい町だった。 |
(2) | 部屋はきれいで、食事もそこそこおいしかったうえ、お湯も出たので人間らしい生活を営むことができ満足だった。問題だったところは、せいぜい風呂のお湯の温度が低い日があることと、風呂とシャワーの電気がつかないことと、鍵のしまるトイレがほとんどないことと、部屋の鍵が南京錠で不安なことと、時々部屋に入れなくなること(自分は大丈夫だった)と、暖房がないことくらいだった。 |
(3) | 一日目は、Aらしきものと、CとGがあった。Aらしきものは15分で解け、Cは実験したら答えは一瞬で見え、方針もたったが日本語が難しく、またよい塗り分けがなかなか見つからなかったので3時間と解答用紙19枚を消費した。Gは本能的にとりたくなる点をとったあと本能的に反転したが反転で題意の変換を間違っていて解けるわけがなかった。ただ後で検証した結果、正しく変換していても解けなかったのでよかった。 二日目は、GとCらしきNらしきCと、Cがあった。1問目の幾何は、しばらく方針が立たず計算しようかと思っていたところ題意の言い換えができて、あとはごり押すだけだった。2問目の数論(という枠で採用された組み合わせ)は、単にやりたくなることをやっていたら解けていた。3問目の組み合わせは、見た目はこわいが、一般の位置にある直線なんてその形状を扱えるわけがないから上手く直線をえらばなくても大丈夫だろうという気持ちになったら、割とすんなり解けた。十分大きいとかの性質を使っておらず不安だったが、1時間半見直しをしても間違いが見つからなかったのでますます不安になった。結果的に、自分が解けたと思った問題はすべて7点を獲得しており、また金メダルの上位のほうをとることができた。コーディネーターさんありがとうございます。 試験の前は銀メダルくらいを狙っていたのに、気付いたら問題が解けていて金メダルになっていたので驚いている。目標を割と低めに持っていたので1問目が解けた時点でかなり安心して時間を使えたのが勝因だと思っている。 メダルのボーダーと日本の順位が出たときは、日本人の中で盛り上がった。一人だけやたら冷静な人がいた。来年からSLPのNの枠がなくなってもなんら不思議ではない。 |
(4) | 積極的に行った。宿舎から少し離れたところに交流ルームがあり、基本的に何もないときはそこにいた。多くの国の人と交流することができて満足している。日本語をしゃべる人が日本チーム以外にほとんどおらず、また各国から同じ人数ずつ代表が出ているので、日頃関わりようがないような国の人とも交流ができることがよかった。 |
(5) | テーブルマウンテンでは、ロープウェーの途中に支柱がなく、大丈夫かと思ったが大丈夫だった。頂上からの景色は絶景と呼ぶにふさわしかった。ケープ半島ツアーでは、怠惰な野生のペンギンやペンギンに擬態する鳥をみたり、喜望峰やケープ・ポイントにいった。日本では喜望峰が有名で、景色はすごくきれいだった。 |
(6) | とても楽しく、割とあっという間の一週間であったが、前後の移動を含めるとあまりあっという間ではなかった。また来年も行きたいと言いたいところだが僕は高3なので来年はない。チューターでまた行きたい。 |
早川 知志 選手 | |
(1) | ケープタウンは思っていたよりもかなり寒かった(晴れの日はそこそこの気温はあったが、コンテストが終わるまでは曇りがちだった)ので、日本の秋くらいだと想定していた自分は、結局ズボンや靴下を二重に履いて行動していた。ケープタウン全体としては、自然が多く食事も悪くないので住みやすそうだと思った |
(2) | IMO選手団はケープタウン大学の学生寮に泊まった。まあ学生寮クオリティだった(去年泊まったハーバードの学生寮と大差なかった)が、食事には特に不満はなかった。ただし、トイレの個室のドアの鍵で閉まらないものが複数あるのには閉口した。あと、日本人としては湯舟があった方が良いので持参すべきだったかもしれない。 |
(3) | コンテストは、僕の好きな整数と代数の分野が冷遇される分野の偏りがあったとは言え、何処かで見たような問題もなく良問ばかりだったと思う。今年の日本人は組み合わせ的問題が得意なようで、特に5番6番は世界の中でも1,2を争う出来だった。そのおかげか国別順位も5位と満足できる結果となった。自分自身の感想としては、日本チーム内で今回のIMOは簡単すぎるという雰囲気になっていたので金メダルは取れないと思っていたが、結果的に割と余裕があったようで嬉しかった。どの問題も考えるのが楽しかったし、6ももう少しで解けそうだったので楽しかった。あっさりした感想になっていますが、結果が発表されたときは日本チームの5位やら自分の金メダルやらで嬉し泣きしていましたw |
(4) | コンテストが終わった後は大概外国の選手と交流していたが、特にテンションの高いオランダの代表、アメリカの代表とした無茶苦茶なカードゲームが本当に楽しかった。最終日のパーティーでも、そのオランダの代表と会って握手してあの夜は本当に楽しかったねwwwという話をし、お互いのメダル獲得を讃えあった(ええ話や)。その他にも、各国代表の卓球得意そうな人を倒して優越感に浸ったり、カザフスタン代表のサッカーのうまさとイケメン具合に驚いたりしていた。スポーツと数学は言語の壁を越える(多分)。 |
(5) | ケープタウンには山と海が揃っており、観光としてテーブルマウンテンという頂上の平たい山(新世界の七不思議のひとつらしい)を登って断崖絶壁を見下ろして怖がったり、喜望峰やケープポイントへ行って海風を感じたりしていた。観光先で買える食料は日本と大差なく美味しいものが多かった。最終日はボートに乗って30分ほどぼーっとしていたが、港にとまっていた渡り鳥の大群があまりに多く、大場と「IMOのコンテスタントより多いんじゃないか」という話にもなった。 |
(6) | 少し無機質な文章になってしまった気がしますが、本当に濃く楽しい1週間だったし、今までの努力が最高の形で報われたと感じています。この大会に関わった世界中の人達、日本選手6人を支えてくれた団長、副団長、オブザーバーの皆様、日本から応援してくれていたチューターや友達や…そして今まで僕が数学ばかりしているのを見守ってくれた学校の先生、クラスメイト、家族、皆に深く感謝しています。僕にとっては最初で最後の、そして後悔のない最高のIMOになりました。 最後に、一緒に楽しいIMOにしてくれた5人に何よりも感謝します。君達(特に2人)が今年かなり簡単だとか言うからヒヤヒヤしてたんだけどねw いやあ、良いIMOだった。 |
上苙 隆宏 選手 | |
(1) | 1 南アフリカはそんなに寒くないだろうと思っていましたが、日本の冬に負けないくらい寒くて、驚きました。しかし、思ったより雨が降らなかったので、良かったです。ケープタウンは、夜景がとてもきれいでした。 |
(2) | 宿舎は個室で、オリンピックセンターみたいな雰囲気でした。鍵がうまくかからなかったり、暖房が付いてなかったり、トイレの電気がつかなかったり、シャワーからお湯が出ないときがあったり…など多少不具合がありましたが、とにかくご飯がおいしかったので良かったです。 |
(3) | コンテストは、1,2,5,6番が解けて、3番で部分点1点をもらい、なんとか金を取ることができました。試験終わったときは、みんな多くの問題を解いていたので、金は絶対無理だろうと思っていましたが、ぎりぎり金メダルが取れたと分かって、めちゃくちゃうれしかったです。日本が国別順位5位だと分かった時も、とてもうれしかったです。 |
(4) | 今回は、卓球台やビリヤード台などが置いてあるゲームルームのよう部屋があり、そこで、外国人とカードゲームをしたり、ジェンガをしたりして楽しみました。また、その部屋だけでなく、体育館で外国人とサッカーをしました(みんなサッカーが上手くて驚いた)。外国人と接する機会は多かったのですが、僕は悲しいくらい英語力が低いので、十分に外国人と会話することができなかったので、少し残念でした。 |
(5) | 今年は、テーブルマウンテンに登ったり、喜望峰、ケープポイント、ウォーターフロントに行ったりなどExcursionが非常に充実していて、楽しかったです。特に、テーブルマウンテンから見える景色は感動的でした。 |
(6) | 今回のIMOは、国際交流においても観光においても濃密で、多少疲れる時もありましたが、充実した時間を過ごすことができたので、良かったです。IMO関係者の皆さんには本当に感謝しています!! |
大場 亮俊 選手 | |
(1) | あまり僕の思うアフリカ像には当てはまらず驚きました。冬の寒さも本格的でした。公用語の一つが英語だったので現地の人と会話できたのも予想外でした。 |
(2) | 最初ホテルに泊まると聞かされていて、飛行機のなかで大学寮に泊まると知りガッカリしていたためか、暖房が無いことやコンセントがうまくささらないことにそれほどはショックを受けませんでした。ただ数日経ってからその深刻さに気づき、なかなかハード生活になりました。食事もなかなか口に合わなかったのですが、芋は美味しかったです。流石はIMOですね。(笑) |
(3) | 着いた日の翌日が開会式で、その次の日から試験でした。会場は冬の体育館というファニーな状況でしたが、試験中はその事はそれほど頭に現れず、ひたすら時計と問題を凝視していました。結果は5番で部分点をとり、銀という形でした。2日目の8割位の時間をかけた5番が解けなかったのは悔しかったですが、まあ答えを知ったときは、案外そんなもんか〜という感じにしか感じなかったので、あんまり悔しくなかったのかも知れませんね。 |
(4) | 4 現地の人はアフリカンス語も話すので、意外とコミュニケーションしづらく、他の国の代表とのコミュニケーションの方がやりやすかったです。サウジアラビアやロシアの代表から日本の代表選抜過程や決定後の合宿にについて聞かれたので答えたら、それだけしかやってないの?という反応ばかりでした。合気道をやっているというアルゼンチン人からは、侍についてどう思うかと真顔で聞かれ吹き出してしまいました。個人的に印象に残っているのは、フットサルをしたとき僕以外全員がアフリカの国の代表だったことです。彼らはもちろん身体能力は高かったですし、明るくて色々とアフリカのことを聞いたり日本のことを話したりしました。かなりの文化の差を感じましたが、楽しかったです。日本と宿泊棟が同じだった国のなかでは、特にイスラエルの代表となかよくなり、彼らから教えてもらったカードゲームを何回もやっていました。また非常に多くの国の人が、日本のアニメについてかなり詳しく、話の種になりました。同年代の間で日本のサブカルチャーがいかに有名であるかということを実感しました。日本人にとっては、もはや教養なのかもしれませんね。 |
(5) | 喜望峰とケープポイントに行きました。ペンギンがたくさんいました。バスで少し遠くのほうへ行くと、市内と比べると生活環境があまりよくないところが現れましたが、個人的にはそのあたりでアフリカに来ているんだなーということを実感したりしていました。 |
(6) | 最初で最後のIMOでしたが、日常から離れて数学ができるという環境は、本当に最高でした。南アフリカという滅多にいけない所に行けたというのも楽しかったです。ただ、なんといっても様々な国の貴重な友達ができたことが一番よかったです。 |
井上 卓哉 選手 | |
(1) | 南アフリカは、事前に思っていたほど治安が悪いことはなかった。昼夜での気温差が大きく、寒さに慣れるまではとても大変だった。また、何度か街中で外食をする機会があったが、食事は日本より美味しいぐらいだった。(野菜は少なかった) |
(2) | 宿舎は個室×6で、各フロアには共用のトイレ、シャワーがあった。部屋は十分な大きさがあったが、シャワーのお湯が出なかったり暖房設備がなかったりしてとても寒かった。宿舎の食事は肉が多めだったが、そこそこ美味しく普通に食べられた。 |
(3) | コンテストは、分野の偏りが大きく、N(整数論)が出なかった。G(幾何)は2/14しか得点できなかったので悔しかった。落ち着けていなかったのか、Day1にミスをして6点しか取れず、銀メダルには届かなかったが、なんとか銅メダルを取れたので良かった。来年は分野の偏りに関係なく金メダルが取れるように、弱点のGをしっかり克服したい。 |
(4) | 英語が苦手でほとんど話せないので、外国人との交流は難しかったが、ボードゲームやカードゲームを通してなんとか交流出来た。日本のことに興味を持っている外国人は多く(特にアニメ)、相手から積極的に話しかけられる場面も多かった。また、南アフリカでは意外と日本語を知っている(話せるわけではない)人が多く、外を歩いているといきなり「サイコウ!!」などと言われた。 |
(5) | 観光では、テーブルマウンテンや喜望峰などに行った。テーブルマウンテンに登る際にケーブルカーに乗った。ケーブルカーは、床が回転することで全員が全方位を見られる仕組みになっていた。喜望峰では二人が海に入ったが、自分は風邪を引いていたので入らなかった。喜望峰に行く途中で見たペンギンはとても可愛かった。南アフリカはどこも景色が美しかった。特に、ケープポイントから見た景色は一番だった。 |
(6) | 今回のIMOでは一人だけ学年が違ったが、先輩方はとても優しく、楽しく一週間を過ごすことが出来て良かった。また日本チームとして、金メダル4人で5位という好成績の大会に参加出来てとても良かった。来年もまた代表になってこの経験を活かしたいと思う。 |
第55回IMO南アフリカ大会印象記 | |
副団長 淺井 康明 第55回International Mathematical Olympiad (IMO)が、7月3日から7月13日まで南アフリカのケープタウンで開催された。 南アフリカは、近年までアパルトヘイトと呼ばれる有色人種に対する人種差別があった国である。その後、ネルソン・マンディラ氏らの力によってアパルトヘイトは廃止され、アフリカ最大の経済大国となったものの、まだまだ非白人の教育水準は低く治安も悪いとのことで、大会期間中の選手達の行動にも注意を払わされた。しかし、テーブルマウンテンの観光地などには多くの外国人が訪れており、心配されるようなトラブルはなかった。 大会は、ケープタウン大学(UCT)の学生寮を宿舎として、敷地内にある建物のホールで開会式やコンテストが行われた。ただ、南アフリカは冬の季節で、学生寮には暖房設備がなくて寒い思いをしたが、選手達は体調を崩すこともなく、無事に大会を終えることができた。 今回の日本代表選手は、高校3年生が5名、高校1年生が1名であった。このうち、前回までのIMO代表選手に選ばれたことのある生徒は1名だけで、5名の生徒がIMO初参加あったので、大会での生活全般について不安があり、どんな結果が出るのかも心配でもあった。 各チームの団長団が構成するJury Meetingでの問題の決定については、例年のように30題ほどの候補問題の中から最終問題が決定されたとのことであったが、多少出題に偏りがあったようである。試験が終わった後の選手たちの感想では、整数や代数の分野があまり無くて心配したが、難しいと思われた6番も解けた選手もいて、日本選手はよく頑張って立派な成績を収めてくれた。 IMO2009ドイツ大会で、国別順位2位の成績をあげて以来、なかなか日本は良い成績をあげることが出来なかったが、今回はその時以来の国別順位5位という立派な成績で、選手とともに喜びを分かち合うことが出来て非常に嬉しかった。 大西洋とインド洋を分けるケープポイント及び喜望峰で、遥か昔にバスコ・ダ・ガマなどの冒険者達が通った海を眺めることが出来たことも、忘れられない思い出となった。 |
|
オブザーバーA 峰岸 龍 IMOにはかつて選手として参加させていただきましたが、今回はObserver Aとして参加させていただきました。選手より早くケープタウンに入り、問題を決める会議に参加しました。また、日本語版の問題を作成する作業も行いました。開催国にちなんだ問題を出すのが最近の流行りのようで、今年の5番も問題文に「ケープタウン」が登場しています。印象に残って良いとは思いますが、「ケープタウン」を入れることにこだわり過ぎて、額面1/7のコインなどというものが現れる変な問題設定になった気もします。また、どちらかと言うとエジプトコインと言う方がふさわしいでしょう。 それはともかく、この問題は整数要素がまったくないにも関わらず整数の問題として出題されたのはポイントです。今後もこのように、幾何が2問出題されやすいこととあわせて、組合せの問題や組合せチックな問題だらけになる可能性に注意が必要でしょう。 2日目のコンテストが終わった時点でケープタウン大学に移動し、そこで選手と話すことができ、その証言をもとに答案を見ることができました。それまで少し離れたホテルに宿泊していたので、食事のクオリティーがいっきに落ち、夜も寒くなり、大変残念な気持ちになりました。 コーディネーションは順調ではありませんでしたが、それは解けている問題が多かったからこそのことです。個人的には2番で少しずつ減点されたことが残念でしたが、わりと厳しく見られたので仕方がありませんでした。そのかわりに、部分点はきっちりとることができました。結果的に日本は5、6番で大量に得点し、国別で5位という大変素晴らしい成績でした。日本が組合せの問題で勝負できることは実感しましたし、今後もそうであるようにしていきたいです。 本当に今回の選手の6名には感謝しなければなりません。日本は過去2年間金メダルをとっておらず、金メダルをとる難しさを思い知らされてきました。しかし今年は、減点こそあったものの6問を解ききった山本君を筆頭に、金メダルをがっつり獲得することができました。今回なぜこのような素晴らしい成績をとることができたのか、正確にはよく分かりませんが、かなり前から数学オリンピックの国内大会などで競い合ってきたメンバーで、よく準備されていたことを感じました。時差ボケや気温の変化、長時間の移動、プレッシャーなど様々な負担があったことでしょうが、6番を「簡単簡単」と言って解き、ケープタウン大学の寮の食事を「美味しい美味しい」と言って食べていました。このような素晴らしい選手のみなさんとともに参加でき、本当によいIMOになりました。 |
|
オブザバーA 清水 元喜 第55回国際数学オリンピックに参加した101か国・地域のうちで、開催地からのケープタウンから最も遠いのは日本であったらしい(ケープタウンと各国の首都との距離を測っているのだろうか。どうもカリフォルニアなどアメリカ西海岸沿いの都市の方が日本より遠い気がしてならない)。 遠いだけではなく季節も日本と正反対、大学寮には暖房がなく、ガイドさんは日本語が話せない...。そんな環境に選手たちは滅入ったり愚痴をこぼすこともなく、IMOをめいいっぱい楽しんでいる様子だった。 今大会で彼らが国際順位5位(日本としては歴代2位!)の好成績を挙げてくれた背景には、そうしたタフさもあったのではないかと感じた(チューター含め、大人たちはみんなつらそうにしていた)。 僕がコーディネーションを担当したのは主に1番と6番、それに5番の一部だったが、やはり組み合わせ分野の6番が難関だった。答案の内容が難解な場所を、こちらが勝手に整理して伝えると「それは答案のどこに書いてあるのか?直訳しろ」と怒られ通しで、途中で部分点を断念して帰ろうかと思った答案もあった。しかしこのコーディネーションが大変だったおかげで、ドイツのリサさん(IMO2011オランダ大会で満点だった女性、6番のコーディネーターだった)と少し仲良くなれてFarewell partyで記念写真を撮れたので、結果オーライというやつか。日本選手は、僕の担当していない問題も含めて皆しかるべき以上の点を取れていたので、選手にとってもチューターにとっても悔いや不満の少ないコーディネーションはできたと思う。 仕事の合間にはExcursionで南アフリカ観光を楽しんだが、街並みも並ぶ商品もまるでヨーロッパのようで、あまりアフリカらしさを感じることはなかった。また、さきほど環境面についてやや厳しいことを書いたが、ガイドさんは選手一人一人にちょっとした南アフリカのお土産をプレゼントしてくれるなど優しい女性だったし、団長団が途中まで宿泊していたホテルは、紅茶・コーヒー・お茶菓子食べ放題で、晩御飯にはワインも飲み放題、もちろん冷暖房完備と快適そのもの、また心配されていた治安面も、IMOの会場付近では特に不安を覚えることはなく、総じてみれば快適な大会運営がされていたと思う。 IMOを支えてくださっている日本および世界各国の方々に感謝、そしてこの大会がこれからも素晴らしいものであり続けますように。 |
|
オブザバーA 吉田 健祐 今回は僕にとって2度目の海外でした。1度目は選手時代のIMOだったので、2度も貴重な経験をさせていただき感謝しています。 南アフリカは治安が悪いイメージだったのですが、少なくとも僕が行ったところはそういう雰囲気はあまりなく、観光などもリラックスして楽しむことができました。また、向こうの冬は日本の冬に比べればだいぶましで、夜は寒かったですが昼間は快適だったように思います。 僕は主に3番、4番のコーディネーションを担当しました。いずれも幾何の問題であったため、答案の内容をコーディネーターに理解してもらうのにはそれほど苦労はなく、どちらの問題も取るべき点数を得ることができたのでほっとしました。4番は多くの別解が用意されていて、そのそれぞれのステップに部分点が割り振られていたので、答案をよく読んで部分点のとりこぼしがないようにするというのが主な仕事だったように思います。 今回は団長団側として参加したので、他国の団長・observer A・コーディネーターの方々と過ごす時間が長かったのですが、日本のobserver Aは他国に比べて圧倒的に若いということを実感しました。なのでなかなか他国の団長にこちらから話しかけるのは難しかったですが、向こうから話しかけてくれる人がいたおかげか、結果的には選手のときよりも他国の人といろいろお話しできたと思います。選手時代は遊び主体の交流だったので、それとはまた違って刺激的でした。 今回、日本選手の成績は金4銀1銅1、国別順位5位というすばらしいもので、選手たちの頑張りを心から祝福したいと思います。選手たちが喜んでいるのを見て、選手として参加したIMOがなつかしく思い出され、これからもIMOがずっとすばらしいものであってほしいと強く思いました。最後に関係者のみなさまに感謝申し上げます。 |
順位 | 国 |
1 | 中国 |
2 | アメリカ |
3 | 台湾 |
4 | ロシア |
5 | 日本 |
6 | ウクライナ |
7 | 韓国 |
8 | シンガポール |
9 | カナダ |
10 | ベトナム |
11 | ルーマニア、オーストラリア |
13 | オランダ |
14 | 北朝鮮 |
15 | ハンガリー |
16 | ドイツ |
17 | トルコ |
18 | 香港、イスラエル |
20 | イギリス |
21 | イラン、タイ |
23 | カザフスタン、マレーシア、セルビア |
開催国の Web Site は、下記の通りです。
http://www.imo2014.org.za/?AspxAutoDetectCookieSupport=1
開会式にて |
ケープタウン観光 (テーブルマウンテンにて) |
コンテストを前にして |
表彰式を終えて (日本代表団) |
IMO人文字 |
表敬訪問 (政務官とともに) |