公益財団法人  数学オリンピック財団



第59回国際数学オリンピックルーマニア大会の結果報告

◆参加報告
  第59回国際数学オリンピック(IMO)は、7月3日から14日までルーマニアのクルジュ・ナポカ(Cluj-Napoca)で開催されました。
  日本代表選手は、金メダル1個,銀メダル3個、銅メダル2個を獲得し国別順位13位という成績を収めました。ここにお知らせいたします。


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日本代表選手の成績
メダル 氏 名 学 校 名 学年
金メダル 黒田 直樹 灘 高等学校 3年
銀メダル 清原 大慈 筑波大学附属駒場高等学校 3年
銀メダル 新居 智将 開成高等学校 3年
銀メダル 馬杉 和貴 洛南高等学校 1年
銅メダル 西川 寛人 愛知県立明和高等学校 3年
銅メダル 渡辺 直希 広島大学附属高等学校 1年


日本代表団の役員
団長 森田 康夫 東北大学名誉教授
副団長 田﨑 慶子 (公財)数学オリンピック財団
オブザーバーA 上苙 隆宏 東京大学 理学部数学科
隈部  壮 東京大学 工学部計数工学科
的矢 知樹 東京大学 工学部計数工学科
オブザーバーB 宮下 義弘 (公財)数学オリンピック財団


☆IMO選手達の声

各選手に、IMOブラジルの感想を書いてもらいました。
①ブラジル(リオデジャネイロ)の印象
②宿舎について
③コンテストについて
④外国選手との交流について
⑤観光での印象
⑥今回のIMO全体の感想

新居 智将 選手

 ルーマニアの気候は、極めて過ごしやすく、空調も良く働いていたため、服による温度調節をほとんど必要としなかった。 現地の人同士の会話は当然ルーマニア語であったが、ガイドさんや店員とのやりとりは英語で十分でき、時には日本語を使える人もいた。 食事は大抵がバイキング形式であり、パン、ハム、チーズ、サラダ、その他いくつかの料理が選べた。 チーズの一部は匂いが強く、また試験前は生野菜を食べる事を避けたため、前半は炭水化物と肉類に食事が偏ってしまった。
 客室は2人部屋で、十分な広さがあった。 ベッドの質は良かったが、トイレ、シャワーが各客室の中にあった。 問題はトイレ、シャワーの部屋には鍵がついていなかった事や、シャワーにおいて用意されていた石鹸は1種類で、シャンプー、コンディショナー、ボディーソープの兼用であった事などであった。 そして見たところでは、ハンドソープとも同じものであるように見えた。
 試験は2日とも二完であったが、1日目は十分に時間を残して問題3に向かえたのに対し、2日目は問題5が解けたのは試験終了3分前の事であった。 問題3は得意分野であり、時間も残っていたのに解けなかった事が強く悔しいが、総じて見れば演習時に近い成績であるように感じた。 結果は銀メダルであった。個人的にはやはり問題3で点を取れなかった事が響いたように思う。
 観光では、城や岩塩の鉱山に行った。 城は手入れが行き届いていて、また丘の上に位置していたのもあり、景観がとても良かった。大砲の実演もしていて音の大きさに驚いた。 鉱山の方は現在は採掘されておらず、空洞の一部は遊ぶ場所になっていて、卓球台、観覧車、ボートなどがあった。 それ以外にもフリータイムにデパートへ行き、お土産を調達したり本を物色したりした。 帰国時には経由地のミュンヘンを観光し、レジデンスや夏の離宮、BMW博物館へ行った。 レジデンスや夏の離宮はとても広く綺麗であり、部屋の数も膨大であった。
 ところで、今回のIMOでは想定外の事がいくつか起こった。 行きの飛行機の乗り継ぎにおいて次に乗るはずだった飛行機がキャンセルになり、航空会社及び経由地を変更する事となった。 そして、クルジュ=ナポカにたどり着いたのは当初の予定から6時間以上ずれ、深夜のことであったが、さらにその余波でロストバゲージが起こり、荷物が届いたのは試験1日目が終わってからの事であった。 しかし、試験前日に田崎さん、宮下さん、ガイドのRaduさんにコンパスや下着などを現地で調達してもらい、なんとか試験初日を迎えることができた。 また、試験会場入りしてから着席まで30分以上あり、さらにそこから開始するまで30分弱あったのだが、2日目では着席までの30分間で様々な事が行われた。 まず、最初に試験会場内のスペースで大勢で寝転がり一つの川ができ、それが終わったと思ったら全員で試験会場内の中でランニングをはじめ、しまいには国旗を持ってランニングしていた。 試験会場のボランティアの方々も、止めるのではなくむしろ一部のボランティアはIMO旗を持って参加していた。試験直前とは思えないとても不思議な光景だった。 今回、自分からあまり積極的に国際交流はせずに終わってしまったが、他国の選手と話す機会は様々にあり、インドやカザフスタンの選手と仲良くなった。 閉会式前は会場前方で鳥籠などをして遊んだ。 成績は本来の目標であった金メダルに届かずとても悔しいが、最初で最後のIMOは総じて楽しく有意義な大会であった。 様々な想定外が起きながらも無事に大会を終えられたのは、ガイドさんや引率してくれた方々のおかげであり、本当に感謝してもしきれない。

清原 大慈 選手

 僕にとって最後のIMOはとても思い出深い大会となった。  開会式の活気、コンテスト会場の緊張感、Cluj-Napocaの街並み、そしてIMOでできた友達。 貴重なものたちで溢れている。 なにか文章のヒントを得られないかと机の中からあるものを取り出した。 「今日コンテストの結果が発表された…(中略)…日本チームは一室に集まって結果を確認することになった。 スマホの画面を前に僕は緊張している。 心を急かせるのは外の雨音だろうか…(中略)…銀メダルという結果をみて僕はただぼーっとしていた。 衝動的に部屋に戻りベッドに腰掛ける。 気がつくと僕は泣いていた。 土砂降りだったはずの空は晴れわたって陽が射しているけれど、そんなのは慰めにもならない」
 IMO中の日記にはそんなことが書かれていた。 僕は去年も日本代表に選ばれてIMOに参加していたが、結局まともに準備をしないまま本番を迎えてしまった。 参加前に予想していたよりも悪い結果をみても特になにも思えなかった。 「僕は今回は本気になれただろうか。金メダルはしっかりと意識していた。 届いていた。それは今でも感じられて、だからこそ悔しい」  僕は今回こそは本気になれたのではないか。 あまり想像できないかもしれないが数学オリンピックは案外そんな一面をもっている。 閉会式でメダルを受けとるとき多くの選手は涙を浮かべていた。 銀メダルで悔しいと思っていた僕でさえもメダルの重みに救われた気がした。 悔しさはあったはずだが晴れやかな気持ちだった。  携帯の通知が鳴る。海外の友達からメッセージがきた。 彼とは去年の大会で仲良くなりこの一年間互いに励まし合ってきた。 いまは大会の思い出や将来のことについて話している。 他愛のない会話ができる友人ができたのも国際大会の収穫だ。  こんな素敵な大会に出られたことが幸せだと心から思える。  大会中にお世話になった方々、日本チームを支えてくれたガイドさん、ありがとうございました。 最後に、誠に個人的ではあるが、これまで応援してくれた友人やOB、そして両親と兄への感謝をもって感想文を終えたいと思う。

黒田 直樹 選手

 今回のIMOは前途多難だ。乗る予定だった飛行機がキャンセルになり、別ルートで開催地であるクルジュナポカになんとか到着したものの、ロストバゲージに遭い、手持ちのリュック以外の荷物が無くなった。 ルート変更や荷物返却用の書類を用意することもあって、ホテル着は午前2時にもなっていた。 ホテルは十分に広くシャワーもあり、良いホテルだった。 その日はヘトヘトだったので、明日の開会式に向けてそのまま寝た。 クルジュナポカは、真夏にも関わらず涼しい気候だった。 ルーマニアの中では人口第3位の中程度の都市ではあるが、首都のブカレストと比べると治安の良い場所で、翌日開会式の会場に移動する途中に見えた教会などの歴史的な建物が印象的だった。 こういう何気ない都市部に突然教会なが現れるのが、ヨーロッパらしいと言えるだろう。 開会式は体育館のような非常に大きな建物に全ての国の選手が集まり開催された。 各国の代表選抜テストを交換していたりしたので、もらった台湾の問題を考えつつ明日明後日のコンテストに備えた。
 コンテスト1日目は得意な幾何、数列、そして組み合わせという順に並んでいた。 幾何は少し難しかったが30分で解き、数列も苦戦しつつも2時間で解ききったが、出来るかの結論も与えられていない組み合わせに苦しみ、一つの成果を挙げたものの、誤った予想をコンテスト終了まで持っていた結果解くことは出来ず、この日は2完に終わった。 ほとんど出ると分かっていた3Cを解くことは出来なかったが、明日に最も期待している3Gが出ることを期待し、幾何の問題を解いて、明日に備えて寝た。 コンテスト2日目は組み合わせ、整数列、そして幾何となり、セットに喜びを感じながら冷静に前から取り組んだ、組み合わせに若干苦戦するものの4,5は1時間半で解け、残った3Gで試行錯誤をしていくうちに残り1時間程度で良い補助点を取ることに成功し、時間ギリギリ解くことができた。 その後はガイドさんとともに観光をした。
 IMOが運営したエクスカーションでは郊外にある大きな城、そして塩の鉱山に訪れたが、それに加えてガイドさんの好意で現地のデパートやスーパー、そして教会や城壁などの残る都市の中心部に連れて行ってくださり、自由時間を有効に過ごすことができた。 また、そこでお土産を買うことができた。 その間点数も徐々に公開されていき、解けてなかった3で3点も来ることがわかり、また他の問題も減点がなく、金メダルを取ることが出来たのだ!しかも世界6位という素晴らしい成績を取ることができ嬉しかった。
 今回のIMOでは選手の泊まるホテルが10種類ほどあり、交流が難しくなっていた。 そのため閉会式のあとのパーティで交流しようと思ったが、多くの選手が突然テンションを上げて2時間近く踊り続けていて、その人たちに交流することが出来ず、そのため日本土産も残ってしまったのが心残りだった。 やはり外国人のテンションはすごいとわかった。
 今回2回目の参加であり、去年金メダルを取っていたこともあって周りからの期待も大きく正直自分でも良い成績を残せるか不安だったが、結果的に世界6位という素晴らしい成績を残せて本当に良かった。 また全世界から数学好きの高校生が集まるというのが刺激的なイベントで、その人たちと話をするのが楽しかった。 選手としてのIMOは最後だが、オブザーバーとしてまた参加したいと思う。 最後に、応援してくれた家族、先生、大会中お世話になった私以外の日本代表、オブザーバーの皆さん、ガイドのraduさん、本当にありがとうございました。

馬杉 和貴 選手
ルーマニア(Cluj-Napoca)の印象
 緯度が高く日がなかなか沈まないことが、日本と比べても奇妙に感じられた。 街全体の雰囲気としては、建物がRigidに並び、調和を保っているように思えた。 やはりヨーロッパ、本物の石と煉瓦の世界に、僕は圧倒された。
宿舎について
 少なくとも悪くはなかった。(というのは、平年と比べてということが出来ないため) 個人的には、非常に良いホテルであったとう。 ただ、食事に野菜が少なかったこともあり、3〜4日すると万全のたいちょうではなくなってきた。 まあ、体調の善し悪しとテストの出来の相関のあるなし、逆相関のあるなしは、完全に個々人によるものであるため、そういう自分のことは自分で分かっておくと良いと思う。
 部屋は2人部屋で、JPN3とであった。 まあ、普段見れないリアリティのあるシーンが沢山あったという点においては、幾らか面白いものであった。
コンテストについて
 3番級に歯が立たなかったのが悔しい……、というより無力さを感じた。 今回は完全にセットを引き外し、今の実力においての最善を尽くしたが、結局、銀メダルに留まった。
 僕は非常に幾何が不得手で、かつ、対策をしておらず、具体的にどれくらいかというと出発前の直前講習会において初めて複素座標を知るような有様であって、1Gはその不慣れな複素座標で解いた訳だが、どうやら致命的なミスを犯していたらしい。 (オブザーバーの話によると、3点の解答だったということ)だが、オブザーバーの尽力によりなんとか5点を得ることができた。
 また、6Gは1点が取れたが、なぜ取れたかは分からない。 何をしていいか一切分からなかったが、取り敢えず色んなことをやっていたら解答が異常な枚数に増えたが、そのため何か引っかかってくれる部分があったらしい。
 3Cは非典型議論(少なくとも僕はそう感じた)で、一切手がつかなかった。だが今から考えれば、正解答は自然な発想に基づくものであったかも知れない。その他、特筆すべきことはない。 まあ、普段見れないリアリティのあるシーンが沢山あったという点においては、幾らか面白いものであった。
外国選手との交流について
 人のことを言えないが、JPNsはあまり交流がなかった。 Twitterはこういう場面において封印すべきである。 これは強く主張できる事実であるが、多分日本において数学をやるような人間の多くは、コミュニケーションというものについて本気で向き合ったことはないので、その点においてより真摯になるべきと思う。 これは、完全に自戒でもある。
観光での印象
 非常に面白かった。面白いというのはinterestingという意味である。ただ、体力的には自分に厳しいものがあった。 オブザーバー曰く、毎日走り込みとIMO 2セット分解くといいらしい。 これは本質的に嘘なので、真似はしない方がよい。(走り込みについては、真の命題であろう。)
 観光地については、どうせ他のJPNが何がしかを書いているはずなので書かなそうなことを言うと、廻る国の物価についてはいくらか調べておくと良いと思う。 あと、デパートにSushiがあった。Sushiはどうやら国際食のようだ。
全体の感想
 かなりハードなスケジュールであった。ヴァケーションのつもりで来るという人は認識を改めるべきかも知れない。  が、人生の中で最もexcitingなイベントであったことも事実である。 幸運なことに、僕は来年以降もチャンスがあるため、出来るなら次も参加させていただきたいと思う。

西川 寛人 選手
ルーマニア(Cluj-Napoca)の印象
 緑が多くて、良い町だなって思いました。古い建物も多くて落ちついていて学問をするのに適した町だなと思いました。
宿舎について
 料理もおいしく、部屋もベッドも快適だったので落ちついて過ごせました。 強いて言うなら、ボディーソープがあまり泡立たず使いづらかったです。
コンテストについて
 Day1は比較的落ちついて受けることができました。1Gで苦戦しましたが、1Gが解けからはすぐ2月の方針が立ったので良かったです。 Day2は苦手であるCが4番にいて辛かったです。得意であったはずのNが5番にいたのに解けなかったことが一番の心残りです。
外国選手との交流について
 僕はよく人見知りしがちなんですが、そのわりには色んな国の人と喋れた気がします。 会話の多くは試験の出来や各々の趣味、漫画、アニメの話題などでした。 自分の英語力の無さから相手に伝えたいことが通じなかったり、あと相手の国について全く知らなくて日本の方の話ばかりになってしまったりしたことが残念でした。
観光での印象
 1日目は城跡を訪れ、伝統的な衣装によるパレード、大砲などのパフォーマンスを見て日本の城との違いやルーマニアの歴史を感じました。
 2日目は岩塩の採掘場を訪れました。どのように昔は塩を掘っていたかなどを知りました。 また、奥の湖の方はとても美しい景色でした。
全体の感想
 最初で最後のIMOなので常に緊張&興奮していました。 特にDay2では自分の力が思うように出せず若干の悔いは残りますが、それでも交流や観光は楽しかったので、全体としては良い思い出になりました。

渡辺 直希 選手
ルーマニア(Cluj-Napoca)の印象
 落ちついた心地よい町で、自分の初海外はとてもよいものになりました。 特に日本にはない古い石造りの建物の並ぶ美しいexoticな街並みが印象的でした。
宿舎について
 ほとんど困ることはありませんでした。料理も美味しかったです。 部屋の一部の照明がつかないことと、肉がとても美味しく白飯が欲しくなることだけは困りました。
コンテストについて
 Day1は2、Day2では4にはまってしまい、完答できず少し不甲斐ない結果になってしまいました。 しかし、これが今の自分の実力であるとは痛感しました。 来年、再来年のIMOに参加し、よい結果が得られるよう精進します。
外国選手との交流について
 適当にGAMES ROOMで遊べばよい交流ができるだろうという考えが甘く、自分の英語力不足と積極性の無さで十分に交流できず少し後悔しています。 それでもKorea、Turkey、Sri Lankaなどの人と話ができたのは間違いなく貴重な経験でした。
観光での印象
 公式の観光では、城塞跡のAlba luliaと塩鉱跡のTurdaに行き、ルーマニアの歴史の厳しい一端にふれました。 Free TimeにはGuideのRaduさんと市内でデパートに行ったり散策をしたりしました。 公式の観光のなかったCluj-Napocaの町にさらなる愛着が湧きました。
全体の感想
 人生初のIMOはまさに夢の一週間でした。 財団、運営の方々、Observerの方々、Volunteerの方々、素晴らしいContestant達、GuideのRaduさん、…IMOに関わった全ての方にとても感謝しています。 ありがとうございました。


☆第59回IMOルーマニア大会印象記

団長 森田 康夫

 ルーマニアは東欧の人口2000万位の国であり、1959年に第一回の数学オリンピックの世界大会(IMO)が開かれた国である。 今年はそのルーマニアのクルージュ・ナポカで IMO が開かれた。開会式には、大統領・大臣・市長も出席し、とても力を入れているように見えた。
 各国の団長が出題する問題を選ぶ Jury Meeting は5つ星ホテルで開かれとても快適であった。 しかし、日本からの往復はドイツ経由で行くことになり、帰りの便の出発が遅れたため、私とオブザーバー A の4人は乗り換えたミュンヘンで預けた荷物が積み残された。 また、私達と別行動を取った選手達は、行きの便で荷物が届くのが遅れ、着替えなどが無くて困ったそうである。
 今年の問題は、4番に出題された組み合わせの問題がチェスに関する問題であったため、チェスを知っているかどうかで不公平が生じないように、問題の書き方を修正した。 また、組み合わせの問題が3番にも出題され、幾何の問題が問題1と問題6に出された。
 問題の難易度は、問題2と問題5が標準難度の問題としては易しかったため、金メダルを取るためには、問題1、問題2、問題4、問題5の4題を完答する(28点)だけではなく、難問である問題3と問題5のどちらかを半分程度解ける必要がある(31点以上)という結果となった。 日本チームについては、上述の様なトラブルにもかかわらず選手たちが頑張り、また3人のオブザーバー A がcoordinationなどで努力をし、金メダル1個、銀メダル3個、銅メダル2個で国際順位が13位という結果を得た。
 なお日本での検討に基づき、私が「2023年に IMO を日本で開きたいという提案を IMO board (理事会)に行い、東京で7月前半に開くという条件を含めて認められた。

オブザーバーA 上苙 隆宏
 周りが低い山に囲まれているという、日本ではなかなか見られない光景が印象的でした。 ホテルは設備、食事ともに素晴らしく、2週間快適に過ごすことができました。
 主に問題1,5の答案を読みました。答案を読むのはあまり苦労しませんでした。 コーディネーションは、点数の交渉に時間がかかる部分を他のオブザーバーに担当してもらったため特に苦労しませんでした。
 例年よりも問題2の正答率がやや高く、問題3の正答率がやや低いという印象を持ちました。 全体的には例年よりも若干正答率が高く、メダルボーダーも若干高かったです。
 あまり海外の団長やオブザーバーとは交流しませんでした。 強いて言えば日本語が流暢な韓国の団長と今年の問題3について話したことくらいです。
 観光でトランシルバニア地方のサリーナ・トゥルダという塩鉱山の博物館に行きました。 この博物館は閉鎖された塩鉱山を改築したもので、四方八方が塩で覆いつくされている光景はとても幻想的でした。
 日本選手全員がメダルを獲得することができたので良かったです。 実力が十分発揮できた選手もそうでない選手もいましたが、どちらもよく健闘したと思います。
 生徒は行きの飛行機でロストバゲージするというアクシデントにめげずによく頑張ってくれたと思います。 本当にお疲れ様でした。そして、メダル獲得おめでとうございます。 また、オブザーバーとしてIMOに関わる機会を与えてくださったIMO関係者のみなさまや財団の皆様にお礼を申し上げたいです。

オブザーバーA  隈部  壮

 トランシルヴァニアの日差しは強く、煉瓦造りの家々と調和して明るくのどかな雰囲気を醸し出していた。 真夏の都市は夜九時を過ぎても依然として明るく、これでは有名なドラキュラの活動も困難だろう。 心配していた治安も問題なく、気軽に街中を出歩くこともできた。
 ルーマニアと言えば東欧の国のイメージがあったが、空気はむしろ南欧のものに近く、 そしてそれは必然的に食事が美味しいということを意味した。宿泊施設や大会の環境は 素晴らしく、朝食は 10 時半までやっており、また小規模な都市での開催だからかバス移動も短く済み、よく運営された大会だったと思う。 開会式にはなんと大統領まで来ており、 国の威信がかかっていることが伝わってきた。
 今年の試験問題は 2,5 番が易し目で、Jury Meeting では簡単目にしたつもりの 3 番と難しくするつもりだった 6 番がうっかり両方難しくなってしまったため、4 問までは解けてもそこから先を解くのは大変なセットであった。 ある程度の難易度の問題を堅実に解くだけでは金メダルは厳しいセットになっており、多くの強豪国が苦しんだのではないだろうか。
 そんな中で 6 番を完答し、全体 6 位の好成績を収めた黒田選手には惜しみない賛辞を贈りたい。
 コーディネーションでは的矢随行員のファインプレーなどもあり、ほぼこちらの言い分通りの点数を取ることができた。 6 番のコーディネーションにはかなり喧嘩腰で望んでしまったが、馬杉選手の答案に描かれていたドラえもんの絵に相手コーディネーターが落書きをしたことから場が和み、笑顔で部屋を後にすることができた。
 全員が一度ずつロストバゲージを経験するという航空会社の問題を除いて、とても快適な大会であった。 エクスカーションで行った塩鉱の体験は新鮮で、またほとんどの予定が予定通りに進んでいた。 やはり IMO は特別な場所だということを、四年ぶりに参加して再認識した。
 最後に、素晴らしい環境を用意してくださった現地の方々と僕をルーマニアに連れて行ってくださった日本の方々に感謝の意を述べ、また選手たち(と自分自身)の今後の活躍を祈念して、この文章を終えることにする。






◆国際順位  参加国  107ヶ国・地域、594名(男子534名、女子60名)
順位
 1.アメリカ
 2.ロシア
 3.中国
 4.ウクライナ
 5.タイ
 6.台湾
 7.韓国
 8.シンガポール
 9.ポーランド
 10.インドネシア
 11.オーストラリア
 12.イギリス
 13.日本・セルビア
 15.ハンガリー
 16.カナダ
 17.イタリア
 18.カザフスタン
 19.イラン
 20.ベトナム
金メダル 48名、 銀メダル98 名、 銅メダル143名

開催国の Web Site は、下記の通りです。
http://www.imo2018.org/


◆参加者の写真


日本選手団

開会式にて

コンテスト会場前での円陣


宿泊ホテルでの食事風景

恒例のIMOの人文字

閉会式での表彰風景


閉会式後の記念写真

閉会式会場前の広場で
ガイドさんと記念撮影

ホテルでの
日本チーム集合写真


文部科学省表敬訪問
戸谷事務次官と記念写真



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